視線恐怖症は「自分が他人からどう見られているか」もしくは「自分の視線が何か迷惑を掛けているのでは」と視線のことばかり考えて日常生活に支障をきたす症状です。
誰も自分のことなんて見ていないと頭でわかっていても気にすることがやめられない。
見てはいけないと思っているはずなのに見ることがやめられない。
視線に関することが自分の意思でコントロールできない状態になって苦しむのが視線恐怖症。
視線恐怖症はカウンセリングで本当に大切なことに気付き、症状を抱えながら行動していくことによって克服できるのです。
視線恐怖症の種類
視線恐怖症は他者視線恐怖症、自己視線恐怖症、正視恐怖症の3つに分類されます。
他者視線恐怖症
他人の視線が気になってどう見られているかにしつこくとらわれる視線恐怖症。
視線恐怖症の中でもとくに多く、対人恐怖症の方全員に共通する症状とも言えます。
自分の容姿や行動が他人から変に見られるのではないか、ダメな人間だと評価されるのではないかといったことを怖れます。
人の視線が怖いと感じる他者視線恐怖症の改善方法をお伝えしています。
自己視線恐怖症
自分の視線が相手に嫌な思いをさせてしまっているという自責の念にかられる視線恐怖症。
見てはいけないところ(女性の胸元や男性の股間など)を見てしまう、目を合わせると睨んでしまうといった症状があり、脇見恐怖症と呼ばれる症状も一部含まれます。
見てはいけないと思えば思うほど囚われてしまうため、視線恐怖症の中でもとくに改善が難しいものです。
女性の胸以外に太もも、男性の股間や薄くなった頭髪等を見てしまうことがやめられず困っている人もいます。どちらかというと女性からのご相談が多い内容です。
見てはいけないと思えば思うほど見てしまう自己視線恐怖症。厄介な症状の原理と背景にある問題について解説しています。
正視恐怖症
人と面と向かった時に目を合わせることができない視線恐怖症。
目を合わせないのは失礼かと思って合わせようとするが、ぎこちない感じになって視線をどこに向ければいいかと困ってしまう。
相手の目をロックオンするような感じで見てしまうため、実際に相手が不快な思いをすることがあります。
「じっと目を見続けるのもおかしいし、全然目を見ないのもおかしいし…」目を合わせることに悩む正視恐怖症についてお伝えしています。
視線恐怖症の心理
本当の自分がバレることを恐れている
「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるように、いくらごまかそうとしても目に本心が出てしまうというのは昔から言われていることです。
目を合わせることによって、本当の自分が出てしまうんじゃないか。目を見られることによって、本当の自分が見透かされるんじゃないか。視線恐怖の根源はまさにここにあります。
本当の自分を相手に知られるのが怖いから、自分の目、他人の目を異常に意識してしまうわけです。
なぜ本当の自分を知られるのが怖いのでしょうか?
それは本当の自分が他人に受け入れてもらえない、認められないと思っているから。
本当の自分がバレて孤立すること、社会的な死への恐れが視線恐怖症を生み出していると言えます。
自分がどうしたいかがわからない
視線恐怖症を発症する人は、依存的で自分の考えがなく、責任を逃れてきたことで心理的に成長できていないところがあります。
過干渉の親に育てられていた等により、自分で考え決断した経験が非常に少なくなっているからです。
自分で決断できないから他人に決断してもらうしかない。
結果として他人の存在が自分の中で非常に大きくなり、気になって仕方がない状態になっています。
すべてが他人次第という感覚になっている以上、いくら頑張っても他人を気にしないようにすることができないのです。
頭でわかっていても視線を気にしないようにすることができないのは当然だと言えます。
視線恐怖症の実態
周りに理解してもらえない苦しみ
視線恐怖症は周りになかなか理解してもらえずに苦しむ面があります。
なぜなら、悩んでいる方が以下のようなことを話すからです。
「周りの人にいつも見られている気がする」
「見たくないのに見てしまって嫌な思いをさせている」
「自分の視界に入った人が咳払いをしてきた」
私も視線恐怖症で苦しんだ経験があるから理解できますが、たぶん経験がない人には理解されないでしょう。
だから、悩んだ経験がない家族や友人に相談すると
「自意識過剰じゃないの?」
「そんなこと気にしなければいいじゃない」
「そんなに注目されてないから大丈夫だよ」
と言われることが多く、勇気を振り絞って相談したのに理解されない苦しみを負うことになるのです。
実際に見られているケースもある
対人恐怖症全般にも言えますが、何かを意識しすぎたり気にしすぎたりすると行動や仕草がおかしくなります。
例えば、
- 視線を意識しすぎて必要以上に目を合わせてしまう
- 見られている感覚が強すぎてぎこちない歩き方になっている
- 見ないようにと意識しすぎて緊張するから睨んでしまう
- 脇見をしてしまうから顔が上げられなくなる
といったことが起こりますので、「何かおかしいな」と相手から見られることが出てしまうわけです。
視線恐怖症を理解していない人からは「見られているわけない」と言われると思いますが、実際に見られているケースもあるということも考慮した上での対策も必要となってきます。
視線恐怖症を克服するためにカウンセリングでおこなうこと
視線のこと以外に目が向くようにしていく
自分がどう見られているか、自分の視線が迷惑をかけていないかどうかばかりに目が向いているため、最初は視線のことが話題の中心となります。
まず視線恐怖症を発症した原因等をお話しいただき、症状が出てしまう現状を受け入れていけるようにしていきます。
ただ、視線のことを話し続けても改善に向かわないため、視線以外のことに意識が向きやすくなるように働きかけていくことが必要です。
カウンセリングで自分自身と向き合っていく中で、本来自分にとって大切なことは症状ではなく、他のところにあると認識できるようになります。
大切なことについて話す比率が高まる毎に視線への意識が押し下げられ、結果として視線恐怖症が改善に向かうのです。
認知の歪みを修正する
視線のことを意識するあまり、関係のないことまで自分と紐づけて苦しんでいるところがあります。
- 誰も見ていないのに自分が注目されていると思う
- 相手の体が自分の方を向いていただけで自分を見たと思い込む
- 視界に入っている相手が咳き込んだら自分のせいだと思い込む
自分だけで考えていると思い込みは強化されていくだけですが、カウンセリングで話すと距離を置いて見ることができるようになるのです。
そして、カウンセラーからの客観的な意見、事例に基づく話を聞きながら考えていくことで認知の歪みが修正されていきます。
強固な認知の歪みがある場合は改善が難しいため、イメージワークを取り入れながら少しずつ緩めていけるように働きかけをします。
自分がどうしたいかで動く
視線のことを気にするあまり、自分が本当にしたいことができていない状態になっています。
自分のやりたいことができない生活で不満が募り、この症状さえなければと考え、どんどん視線に執着しているのが今の状態です。
この悪循環から抜け出すために視線のことが気になりながらも自分がやりたいことをやっていきます。
やりたいことをやってポジティブな感情が増えてくれば、視線が気になっても置いておくことができます。
視線にとらわれることがなくなればなくなるほど重要度が下がり、どうでもいいことになって視線のことが気にならなくなるのです。
実際、他者視線恐怖症によって自動販売機でジュースを買うことすらできなかった人が、姿勢矯正の為に人目がある場所で変な歩き方をしても全く気にならない状態になりました。(私自身の経験談です)
視線恐怖症で苦しい思いをしておられるようでしたらご相談ください。