ホモソーシャルの男性たち

依存症、性加害、性犯罪、ハラスメント、DV等を引き起こす要因となるホモソーシャル。

男性社会で生きてきた私の実体験を交えながらホモソーシャルの闇に切り込んでいきたいと思います。

ホモソーシャルとは

ホモソーシャルは男性同士の強い結びつき、絆のようなものを意味する言葉です。

女性嫌悪や蔑視(ミソジニー)、同性愛者への嫌悪(ホモフォビア)が含まれています。

男性同士の絆が深まることにより、邪魔な存在になる恐れがある女性を排除したい気持ちがミソジニー、同性愛への恐れが生じることがホモフォビアへとつながっているのです。

ホモソーシャルにおいて男性が求めているものは同性からの賞賛であると言われています。

ホモソーシャルの実態

女性を利用して男性同士の絆を深め合うようなことがホモソーシャルでは日常的におこなわれています。

  • 偶然居合わせた女性の見た目に対して男性同士で点数をつけ合って楽しむ
  • 風俗に行ったときのことを男性同士で面白おかしく話す
  • 女性と付き合ったことがない男性をコンパやキャバクラに連れ出していじる
  • 飲み会で女性の容姿をいじって男性同士で笑い合う
  • X(旧Twitter)上で「まんさん」「女さん」「まんこ二毛作」等の言葉で女性をネタにして男性同士で馬鹿にする

以前炎上した吉野家の「生娘をシャブ漬け戦略」、当時東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だった森喜朗さんの「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」等の問題発言は、女性をネタにして男性ウケを狙うホモソーシャルの典型例です。

性的な意味での女性は大好きではあるものの、人としての女性に対しては強い嫌悪感があるというのが、ホモソーシャルの実態だと思っています。

ホモソーシャルが生み出した認知の歪み

女性に対するモノ扱い

ホモソーシャルにおいて女性は道具扱いされており、古くは本人の意思を無視した政略結婚なるものがありました。(現在でも一部ではおこなわれているようです)

女性がいると華やぐ、男だけの飲み会はつまらないから女を呼ぼう、花束は女性に渡してもらおう、お酌は女性がするものだ、女性の体型は丸みがあった方がいい…

こういった発想は女性を道具扱いしているから出てくるのではないでしょうか。

カーリング選手の藤澤五月さんがボディービルに挑戦したとき、見た目の変化を批判したのは男性ばかり。

女性は男性が好む外見であるべき、そして、それを女性も望んでいると勝手に考えています。

女性がオシャレをするのは男性のためだと平気で言う人がいるくらいです。

「釣った魚に餌をやらない」という言葉は男性が女性に対して使いますが、モノではないにしろ女性を魚、自分を魚を釣る人間に例えている時点でおかしいのではと思っています。

女性をそもそも人として見ていない以上、気持ちなんてあるのというレベルでしょう。

だから、ホモソーシャルの男性は女性の気持ちを考えることができないのです。

性加害の正当化

昭和の芸能界では「女遊びは芸の肥やしだ」と言われていました。

「男は浮気する生き物だ」と言われることもありますよね。

浮気は犯罪ではありませんが、不貞行為に該当する行為であり、パートナーを裏切り傷つけることから加害性があると言えます。

昭和~平成にかけての時代は女性とのコミュニケーションという名目で、男性が女性に痴漢行為やセクハラ発言をすることが当たり前でした。

1995年に発売されたSMAPの『KANSHAして』という曲の歌詞に「セクハラ上司を笑顔でかわし」というフレーズがあります。

男性のセクハラは大した問題ではなく、上手くかわす女性が格好いいと思われるような時代だったのです。

漫画やアニメで女性キャラクターの入浴を男性キャラクターが覗くとかも、男性はバカだから仕方ない、笑って許してやろうみたいなメッセージが込められている。

夜の店で働く女性はちょっとくらい触ってもいい。笑って許されると思い込む。相手が本気で嫌がっていても「嫌よ嫌よも好きのうち」と正当化。

俳優の香川照之さんのように高級クラブで性加害をする男性が出てきてもおかしくはないわけです。

芸能人が性加害をしたニュースが流れると美人局に遭ったのではないかと擁護する男性が現れ、事実はまだわからないと言いながら被害者に対してセカンドレイプを始めることも正当化に含まれます。

本来であれば自分を含めた男性の印象を悪化させた芸能人への怒りが湧くはずなんですけどね。

背景が読めず表面だけ拾って都合よく解釈する

レイプされたいと言う女性、電車内で面識がないのに急に触ってくる女性。

こういう一般的な概念からかけ離れた発言や行動をとる女性に感じるのは怖さのはずです。

しかし、強引にセックスをしてもいいんだ、相手が求めてくるから触ってもいいんだと解釈する。

リスクではなく自分の欲求を満たす方にばかり意識が向いています。

普通に考えてやらないことをやる人とかかわれば、何が起こるかわからないリスクがありますよね。

だから、かかわらないでおこう、うまくやり過ごそう、タイミングを見て逃げようとなる。

お酒を飲んでいての発言ならその場のノリで言ってしまったんだなと解釈するだけで真に受けることはありません。

レイプされたいなんて本気で言うはずがないとわかるはずです。

もし、勘違いして行為に及ぼうとしたとしても、相手の反応を見れば間違いに気付きます。

性加害をしてしまう人は少しの勘違いということではなく、根本的な認知の歪みを抱えているのです。

「なぜおっぱいを揉まなかったのか」と言う後輩

これは私が投資用不動産の営業会社に勤めていたときの実話です。

上司に連れられて社員全員参加のレクリエーション、バーベキュー。そして、スナックへと行ったことがありました。

体験入店していた胸の大きい女性がいて、私の隣についてくれました。

上司が口説け口説けと煽ってくる中、女性は空気を読んで膝に手を置いてくれる。

かなり頑張ってくれていることがわかっていたし、それ以上は違うと思っていたのでただ会話をするだけでした。

飲めないお酒を飲んで吐きそうになりながらも、何か面白いことを言わないといけないと無理をしていた記憶はあります。

上司が不満げに見てくる中、私は連絡先を聞くことすらせず、一線を越えることはやりませんでした。

正確には「できなかった」です。

翌日、一緒にスナックにいた後輩から電話があり、後輩はその女性と連絡先交換をしていたとのこと。そして、自分たちが帰った後、他の客に胸を揉まれていたという話を聞かされました。

後輩は言いました。

「なんで西橋さんはおっぱいを揉まなかったんですか?」と。

これがホモソーシャルにおける当然の感覚なのです。

性加害は本来できないこと

当時、ホモソーシャルにおいての当たり前ができないことでよく責められました。

自分は男として情けない、根性がない、価値がない等と思っていましたが、今考えれば責めてきていた人たちがおかしかったんだとわかります。

相手が許容していないのに、体に触れる、性的な行為をするというのは本来できないことです。

何か絶対的な壁というか、空気感でダメというのが伝わってきますからね。

例えば、プールで手が届くくらい近い距離にスタイルの良い水着の女性がいたとして触れないのが正常な感覚。

犯罪になるから触らないとかではなく、相手が嫌がること、自分が嫌がられることを想像するだけで触れなくなるものです。

夜のお店で働く女性は仕事なので笑顔で受け流してくれますが、それは偽った表面的な態度でしかありません。

笑っているけど嫌がっている、怒っているということを想像できない人が性加害をしてしまうのだと思っています。

ホモソーシャルにおける男性の苦しみ

弱さを認められない

大正時代を舞台にした漫画『鬼滅の刃』で主人公が「長男だから我慢できた」という内容の発言をするように、儒教による家父長制が日本には根付いています。

「男たるもの」「男のくせに」といった言葉で男性は男らしさを強要されてきました。

令和になって以前ほど男らしさが強要されなくなったとはいえ、まだまだ男性には強さを求められるところがあります。

男としての価値が経済力や忍耐力だと植え付けられ、高いハードルが設定される。

弱音を吐くことは許されず必死に頑張って乗り越えていくしかない。

苦痛を抱えながら生き、その苦痛から逃れる術として女性を支配、コントロールしたい欲求が出てきます。

だから、幼く無知で従順そうな女性を好む男性が多いのです。

リアルで求めることができない男性は、ゲームやアニメ等の二次元、アダルト動画に求めて疑似的に満たしています。

女性にモテることが重要視される

女性に対して強引に行くことが良しとされ、逆に女性の気持ちを考えて慎重になる男は情けないと言われる。

童貞を拗らせる、30過ぎたら魔法使いになる等は、男性が男性を馬鹿にする言葉です。

ホモソーシャルで人権を得るために童貞を捨てなければいけないからと必死に女性とのSEXを求める。

結婚していても風俗通い、浮気や不倫を悪いことだと思っていない。

どれだけ女性とSEXできるのか、モテるのかがまるでステータスのようにもてはやされるのがホモソーシャルの世界です。

周りの男たちは性的なことに興味津々で身を乗りだして話を聞き、そして、賞賛する。

風俗嬢の演技を真に受けて自分のテクニックがすごいと思い込み自慢する男だっている。

女性を傷付けるようなことをしても、「おいおい、それはやりすぎやろ(笑)」なんて冗談めかしてネタにする。

女性経験がない、女性にモテない男性はヒエラルキーが低いため、合コンに連れ出されたり、キャバクラや風俗に連れて行かれたりしていじられる、同性愛者の疑いを掛けられるといった扱いが当然になります。

男らしくないことができない

ホモソーシャルにおいては男らしさが求められているため、メイクをする、キャラクターグッズを買うといった一般的に女性がやるようなことができない。

隠れて楽しむか興味関心を抑え込んで生活するしかなくなります。

また、男は強くあるべきという男らしさの概念に反するから、自分の弱さをさらけ出すこと、相談することができません。

仕事を抱え込んでしんどくて仕方がないのに助けを求めることができず、最終的に適応障害やうつになって休職する人は多いです。

男は酒とSEXは好きという前提なので興味があるふりをしてでも付き合わないといけない。

同性が好きというのはあり得ないと考えられているため、同性愛者はコミュニティから排除されます。

ホモソーシャルにおいて同性愛者は自分が同性愛者であることを知られないように振る舞うことが必須となるのです。

性被害が認知されない

性犯罪被害に遭うのは女性で加害者は男性というイメージが世間には定着しています。

男性が性犯罪被害に遭うとは思っていないので、性犯罪被害に遭ったと男性が言ったところで信じてもらうことができません。

女性から性犯罪被害を受けた男性は羨ましいとまで思われます。

自分の意に反して性的な接触をされるのは苦痛でしかないはずですが、なぜか性的な快感を与えてもらったという認識になるのです。

過去には裁判で性加害をした女性の刑が軽くなった事例すらありました。

男性が性加害を受けた経験に関しては、男性同士でネタのようにして話されることが多く、被害に遭った男性が本気で苦しんでいるなんて思いもしません。

最近になってやっと表面化したジャニーズの問題がまさにこれです。

イクメンとホモソーシャル

一時期流行った「イクメン」という言葉もホモソーシャルと関連しています。

イクメンは育児に積極的に参加する男性を指す言葉であり、ホモソーシャルとは無縁、真逆にすら思えます。

しかし、実態として家事育児をしない他の男性に対してマウントを取る手段となっているところがあるのです。

でなければ、わざわざイクメンだと自分からアピールしませんよね。

家族を大事にしてますアピールや子煩悩な父親というのもホモソーシャルが影響している可能性があります。

そもそもイクメンという言葉自体、育児をする女性をイクウーメンとは呼ばないことから、育児は女性がするものという前提があるわけです。

本来やらなくていいはずの育児を自分がやってやっているというのは男尊女卑の考え方でしかありません。

実際にイクメンに該当するような行動をしていてアピールしない人、自分のことをイクメンだと思っていない人はこの概念に当てはまらないと思っています。

ホモソーシャルは他人事ではない

ホモソーシャルは体育会系においてよく見られますが、限定されたコミュニティだけのものではありません。

先程のイクメンのように真逆のような概念にまで潜んでいたりします。

女性蔑視も同性愛嫌悪もしていないから自分はホモソーシャルとは無縁だ、自分にはそんな感覚はないと思っていたとしても、日本の社会に蔓延っている以上確実に影響を受けているのです。

ホモソーシャルを自分事として捉え、日々の生活の中で向き合う。

良くない影響を受けているところに気付いたら考え方や行動を変えてみる。

繰り返していく中で少しずつホモソーシャルの影響から抜け出すことができるのではないかと思っています。

ホモソーシャルは人に危害を加えてしまう可能性があるだけでなく、自分自身を苦しめることにもなるものです。

ホモソーシャルがどういうものか、どういう問題を抱えているのかに少しだけでも気付いていただければと思います。