一昔前からポジティブ信仰の強い人が増えてきた影響で、ポジティブが良くてネガティブはダメという概念が生まれてきました。
人間の心にはネガティブな面とポジティブな面と両方あって当然なのですが、ネガティブな面は忌み嫌われるから出さないようにする。
繰り返していくうちに自分のネガティブな本音が抑え込まれ過ぎてわからなくなってしまう。
そして、解消されないままのネガティブな気持ちが暴走しだして、精神を病んだり、人を傷付けたりすることが起こり得るのです。
ポジティブ思考の幻想
ポジティブな感情が救ってくれる?
「辛いときほど笑おう」と言われたりしますが、辛いときに笑うことはなかなかできません。
人に恨み憎しみを抱いているような状態で感謝の気持ちを持つことはできません。
ポジティブな感情になった方が良いとはいえ、無理やりすることはできないというのが現実的な話です。
つらいときは落ち込んだり泣いたり、恨み憎しみを抱いているときは強い怒りが出たりするもの。
ポジティブがすべてを解決してくれるかのような錯覚をしてしまうことはありますが、実際はそうではなくむしろ逆にポジティブになろうと無理をして苦しむケースが少なくありません。
ポジティブに考えるだけは解決しない
- 何事もいい方向に考えればいい
- 「なるようになるさ」と考えればいい
- 嘘でもいいから前向きな言葉を言い続ければいい
こういう内容のことをよくポジティブ信仰の人は言いますが、人生そんな単純ではありません。
例えば、お金がなくて困っている人が「自分はお金持ちになれるんだ」と毎日100回唱え続けたとしても、何か仕事をするなりしない限りお金は入ってこないですよね。
「お金がない」というネガティブな現実と向き合い、解決するために何ができるかを考えていく必要があります。
いくらポジティブに考えたとしても、自分の中にあるネガティブな面から目をそらしたままでは、いつまで経ってもいい方向に向かうことはないのです。
ポジティブ信仰の心理
ネガティブから目をそらしたい
ネガティブな気持ちを口に出したときに「大丈夫だって」「そんなことないよ」といった言葉でかき消された経験は誰にでもあると思います。
相手からすれば励ますつもりで相手のためを思って言っている言葉ですが本質は違います。
本質は聞く側の人間が自分の中にあるネガティブな面から目を背けているところにあるのです。
ネガティブな側面を見たくないから相手のネガティブな話をかき消すのを相手のためだと正当化しているに過ぎません。
まさにネガティブが悪であるかのように追い払おうとする。臭いものに蓋ですね。
だから、みんなそういう話をしないようにしたり、落ち込んでいても明るく振舞うのが当たり前になってしまうのです。
人の目を気にしている
ネガティブというのは印象が悪く、暗くて元気がないと思われがち。
逆にポジティブは印象が良く、明るく元気だと思われやすい。
接客の仕事や面接で笑顔を心がけるのは印象を良くするためですよね。
周りからネガティブに見られたくない、ポジティブに見られたいと思う気持ちがポジティブになりたいにつながっています。
ポジティブな人間に見られようと必死なのです。
ネガティブにもしっかりと目を向けて前を向くのが本当のポジティブ
人は少なからず自分に嘘をついて誤魔化して生きているところがあります。
無意識に目を背けていることを話さなかったり、触れられたくない話題を切り替えたり、暗い話を無理やり前向きにしようとしたり、思い出を美化したり、嫌な記憶に蓋をしたり…
ひとくくりにネガティブという表現を使ってきましたが、自分の都合の悪いことと言い換えることができる内容です。
自分の心を守る大切な役割を果たしているため全否定するつもりはありません。
ただ、ポジティブ思考に偏ってしまうと正当化されすぎてしまうところがある。
ポジティブな気持ちというのは無理やり作り出すものではなく、ネガティブにもしっかり目を向けていくことによって自然と湧いてくるものです。
ネガティブから目をそらす言い訳をポジティブだと捉えないようにしていただきたいと思っています。