近くで話し声が聞こえたら誰しも多少なり気にはなるでしょう。
- 職場で同僚が集まって談笑しているとき
- 学校で同級生が二人でヒソヒソと話しているとき
- 電車で近くの学生同士が話をしているとき
「何を話しているのかな」と興味本位で聞くならいいですが、自分の悪口を言われてるような気がして聞くのはつらいですよね。
自分のことではないと思っていても悪口に聞こえるし、クスクス笑い声が聞こえたら自分が笑われているような気がする…
「気にしないようにしよう」と思っても、悪口を言われているかと思うと不安で気になってしまうのです。
悪口を言われているような気がする原因
自信がなく他人の目ばかり気にしている
「人からどう見られるか、どう思われるか」を気にしていると、どうしても他人の行動が気になります。
常に周りを意識しているから自分の方をチラッと見て話し始めた人に気付いて「自分のことを話してるんじゃないか」と妙に勘ぐってしまう。
自信がないからネガティブに捉えて、自分のことを悪く言われたと思うわけです。
他人の目を気にしていなければ自分の方を見て話す人は気にならないし、そもそもそういう人がいることにすら気付かないかもしれませんよね。
周囲の何気ない仕草や言葉を自分の欠点と結びつけるのは「自己関係づけ」と呼ばれ、対人恐怖症と密接にかかわっています。
人が怖い、人と話すのが怖い。対人恐怖症の実態と克服方法をまとめました。
人を信用できない状態になっている
過去にいじめや裏切りにあった経験がある人ほど悪口を言われることに敏感です。
例えば、見た目を馬鹿にされていた人は、また見た目のことを悪く言われてるんじゃないかと思いやすいところがあります。
私自身、高校時代に「つぶやきシロー」「オクレ兄さん(Mr.オクレ)」と言われていたので、自分の方を見て話している人がいたらまた見た目のことを馬鹿にしているんだろうとしか思えない時期がありました。
不信感が強くなると優しい人だ、いい人だとわかっている相手に対しても、陰では自分の悪口を言ってるんじゃないかと思えてきたりする。
自分が休んだ日に悪口を言われるのが怖くて、休めなくなってしまう人がいるくらいです。
学生時代のいじめが原因で対人恐怖症になる人は少なくありません。いじめ後遺症による対人恐怖症の克服方法をお伝えしています。
他人への悪口を抑え込んでいる
「ほんと自己中な人だな」
「こんなこともわからないなんて頭悪いんじゃない?」
「あのメイクはおかしいよ」
こういった感じで他人に対して悪口に該当するようなことを思うのは誰にでもあることです。
しかし、他人のことを悪く思うことすらダメだと思っている人は、自分の中にある他人への悪口を抑え込む。
結果として本来他人に向くはずだった悪口を自分に向けるしかなくなってしまい、相手が自分の悪口を言っていると思うようになるのです。
「あの人に嫌われているからかかわらないようにしよう」の本音が「あの人のこと嫌いだからかかわりたくない」だったりします。
相手が怒っている、自分を嫌っていると思い込んで苦しむ心理についてお伝えしています。
自分の悪口を言われている気がするのは統合失調症なのか?
自分の悪口を言われているんじゃないかと思って過ごしていると、自分と関係のない話をしている人にも悪口を言われているような感覚になってきます。
現実には言われていないのに自分では悪口を言われているとしか思えない。
この段階で統合失調症を疑う人もいますが、まだまだ現実的な感覚なので前述の自己関係づけに該当するレベルではないかと思っています。
誰もいないところで自分の悪口が聞こえてくるとか、日本中の人に自分が知られていて悪口を言われているとか、テレビのタレントが自分の悪口を言っているとかになると、統合失調症に該当するのかなという印象です。
「自分の悪口を言われているかもしれない」という可能性の段階から「自分の悪口を言われているに違いない」という確信に変わり、最終的に非現実的な妄想に至る流れがあります。
統合失調症がどういうものかを知りたい方は、映画『ビューティフルマインド』を一度見てみてください。
「悪口を言われていると思うけど現実的にはありえないよな」と考えることができる状態であれば、まだ妄想には至っていないのではないかと思います。
統合失調症の幻覚(幻聴)、妄想と対人恐怖症の自己関係づけの違いを中心にお伝えしています。
悪口を言われていると思っても気にしないために
悪口は相手の偏った感想として捉える
悪口は相手が自分に対してどう思ったかの感想です。
ある人は「おかしい」「変だ」と思うかもしれません。
逆に、ある人は「面白い」「魅力的だ」と思うかもしれません。
自分のことを100%理解している人なんて存在しないわけで、悪口は自分の一面だけをもとにした偏った感想でしかないと言えます。
悪く言われようが良く言われようがどこまで当てになるものでしょうか?
相手から見える自分の一部が悪いとして、それで自分のすべてが悪いと言い切ることはできませんよね。
悪口を言われたら「あの人は自分の一部を見てああいう感想を持つんだな」と思っておくくらいがちょうどいいのではと思っています。
「もし本当に悪口を言われていたらどうなるか」を考える
「悪口を言われたら大変なことになる」と思っていれば悪口を恐れる気持ちは強くなります。
逆に「悪口を言われても大したことはない、とくに大きな問題は起こらない」と思っていれば悪口を言われても気になりづらい。
嫌な気持ちになることはあっても過剰に反応したり恐れたりすることがなくなります。
もし電車の中で見ず知らずの誰かが自分の悪口を言っていたとして何か問題が起こりますか?嫌な気持ちにはなるでしょう。恥ずかしい思いをするかもしれません。でも、実害はないですよね?
職場の同僚に悪口を言われた場合はどうでしょう。悪口が広まってみんなから言われるようになるかもしれない。職場に自分の居場所がなくなってしまう。最悪のケースを考えれば大変な状況になる可能性はありますが、そこまでひどい状態になれば会社を辞めるのもひとつの方法として考えられます。
また必ずしも最悪のケースになるとは限りませんので、悪口が広まっても誰かが助けてくれるとか、そもそも広がりまではしないとか、他の可能性も出てくるわけです。
一度自分のケースに当てはめて考えてみてください。
悪口が気になりながらも別のことに意識を向ける
よく本やインターネット上では「他人はあなたのことそんなに見てないから気にしなくていいよ」とか、「実際に言われてても気にしないようにすればいい」なんて書かれていたりします。
それができれば苦労しませんよね。
「悪口を言われているかも」と気にしてしまう繊細な感性を持っている人の場合、「気にしないようにしよう」とすればするほど逆に気になってしまうもの。
悪口を言われているかどうかばかりに焦点を当てることになるわけですから。
勇気を出して直接相手に悪口を言っていないか聞けたとしても、本当のことを言ってくれるとは限らないし、本当かどうかを確認することもできない。
今の状態では何をやっても気になってしまうので、気になりながらでも他に意識を向けていくことが必要になります。
まずは悪口を気にしてしまう自分を否定しないことから。「今はどうしても気になってしまうよな」と受け止めるようにしてください。
その上で自分がやりたいことを書き出し、少しずつやっていくようにしましょう。
悪口を言われていると思った場面を客観視する
みんなが集まってワイワイ話しているところに自分が行った途端シーンとなった。
これはよく「自分の悪口を言っていたに違いない」と思う場面ですが、客観的に見れば違う実態が見えてきます。
集まって話しているときに誰かが来たら見る。見ることで一旦会話が止まる。
相手は普通に挨拶をしてくれるのに自分はぎこちなく挨拶を返す、もしくは、よそよそしい態度になってしまう。
その様子を見た相手は「どうしたんだろう」と思い、話しかけない方がいいかなと配慮する。
自分が嫌われているから話しかけてくれないんだと思う。
こうやって見ていくと別に悪口を言われていないし、嫌われていないことがわかりますよね?
ドラマのワンシーンをテレビ越しに見ているイメージで悪口を言われていると思った場面を客観視してみましょう。
カウンセリングで悪口に左右されない自分になる
過去の偉人でも好感度が高い有名人でも、悪口を言われたことがない人なんて存在しません。
また、芸能人がエゴサーチをするように、度合いは違えど誰しも自分がどう思われているかは気になるもの。
悪口を言われる可能性をゼロにすることも、全く気にしないようになることもできないので、悪口に影響されない状態を目指すことが必要です。
カウンセリングでは悪口を言われたと思ったときの捉え方を変えるアプローチをおこないつつ、根本的な問題として抱えている自己肯定感の低さを改善していきます。
悪口が自分に及ぼす影響の小ささを実感できたとき、悪口を言われているかどうかを気にすることはなくなるのです。
悪口を言われているかどうかばかり考えて過ごしていると自分のやりたいことが妨げられるだけでなく、人との関係を築いていくことも難しくなってしまいます。
悪口を言われている気がしてつらい状態を耐え忍んでおられるのであればカウンセリングをご検討ください。